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心や気持ち
とっても思うのは、人となりはすぐにでる、ということ。
メールにも、ブログにも、ブログのコメントにも、ツイッターにも、
お手紙、はがき、
文章にはものすごく表現されるのが人間性。
その人が、自分に興味があるか、嫌っているか、
上から目線か、あきれてるか、
大切に思っているか、友達なのか、
愛かがあるか、ナイスと思ってるか、
適当に扱っているか、
全部わかる。
私以外の人も、きっとみんなそうだと思うのだけど…
私は、そういうのがわかるのが特技でもあり、悲しくもあり。
以前からそう思っていたことが、このタイミングで改めてわかったりします。
それは、相手から自分に対するものがどうか、でもあるし、
自分が相手に対してどうか、というものでもある。
私は、とっても大事でなるべく早く連絡を取りたい種類の人たちと、
今は連絡をとらなくても、きっと無事でいて、それでいて別に今連絡しなくても
仲が壊れるわけじゃないだろう、という人たちがいます。
それと、心のどこかでは気にかけながらも、特別な連絡をとらない人と、
思い出すこともない人もきっと。
人を仕分けしているわけではないのです。
でも同時に、私もこの時期、仕分けされたのだろうと思ったりします。
そしてへんなことに、いやだとか嫌いだとか思っていた人ほど、
大丈夫か気がかりで涙をながしたり、
真っ先に連絡をとってみたりしたのも事実。
ある友達が私との連絡を絶ったのは知っていたのだけど、
何かあったら連絡くれるだろうなぁ~と思っていたら、
震災から1週間かけて私の電話番号を調べて連絡してきてくれた。
同様に絶たれた友人は怒っていたけれど、
なんだか私はその人のそいういう気持ちがなんとなくわかっていたし、
嫌いで仕分けしたわけじゃないのもわかってしたし…なんでしょうね。
本当に私にとって友達だと、連絡のとり方がわからなくなっても
なぜだか安心していられる。
この先もうずっとあわなくていい…なんて思うことはそうそうないけど、
そういう人のほうこそあいそうなのが世の中。
過去に愛をささやいてくれた人なんかより、
愛の一つもささやかないでくれた人のほうが心配して連絡をくれたりするもの。
この時期、私がいつも思う、『人として気が合うか、人として好きか』の相手とは
本当につながれているのだな、と強く感じました。
このブログに来てくれる人もいらっしゃるのが嬉しくて、
これも何かの縁かな・・・と。
いつもは、当たり障りのない文章を書くようにしていたけれど、
もういいかな、と思ったりしました。
[2回]
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